スタンリー・ベレント、通称”アザラシ少年シーロ”と呼ばれたこの少年は、アザラシ肢症(phocomelia)という症状をもってうまれた。彼はあたかも肩から手が生えたような姿であった。時に”アザラシ腕”と呼ばれるこれら症状をもたらすアザラシ肢症は現在、多くの場合サリドマイド(睡眠薬)によって引き起こされたと言われる(しかしシーロに関して言えば、その原因は不明である。何故なら彼が生まれたのは、サリドマイドの発明以前だからだ)。
こうした症状にもかかわらず、シーロの指は完全に機能し、日曜大工やひげ剃り、サインを書くことも難なくこなしたという。また例えばジッパーを上げるといった手の長さが足りない仕事の場合は、フックの取りつけられた棒を使い、それを器用にこなした。しかしシーロは階段の上り下りが苦手であったため、彼は一日の多くをステージ上でピッチカード(プロマイド写真)を売って過ごした。
また1972年、フロリダである法律の施行が検討された。それはこうしたハンディキャップを持つ人々がサイドショーに出演するの禁止するというものである。しかしこれは — 皮肉にも — サイドショー出演者側から多くの反対がなされた。そしてシーロもピート・ターハン(火飲み芸を得意としたドワーフ)と共に法廷に立ち、彼等は見事勝利を勝ち取った。
彼はその生涯を通じて、約三十五年余りに渡って全米のサイドショーに出演し続けたが、やがて引退し、余生はピッツバーグの自宅で過ごした。彼はカトリック病院で死去し、カトリック墓地に埋葬されたという。