エリザベス・ベティー・グリーン

 Molina

エリザベス・ベティー・グリーンの生涯は現在、詳しい情報はない。彼女も出演した、映画フリークスを撮影したトッド・ブラウニングによれば、ベティーは"マサチューセッツ、スプリングフィールドで生まれ、家を五軒も持つ裕福なユダヤ系の少女"であったという。またある一説によれば、彼女は単なる映画ファンで、ロナルド・コールマンのサイン欲しさで自らもフリークスに出演することを希望した、と言われている。彼女はミニー・ウースリーほど奇妙な外見でも、また障害を負っていたわけでもなかったが、しばし"クークー"、"モリーナ・ザ・ピンヘッド"または"鳥少女"、或いは"コウノトリ女"などと呼ばれていたという(写真上は映画フリークスの一場面)。

「クークーはフリークスじゃない。彼女はニューヨークの貧乏な家で生まれたヒョロ長少女だ。彼女は特別なコスチュームを着て、自分の醜い部分を誇張して見せた。彼女は頬をこけさせて、目玉をギョロギョロさせて、自分をグロテスクに見えるように演出してた。だけどね、彼女はいい娘だった。物静かで、誰も気がつかないような娘だったな。」

― チャーチ・オブ・サタン創設者アントン・ラヴィ
(※ここで言うクークーがこのベティーを指すのか、あるいはミニー・ウースリーを指すのか、または別のクークーを指すのか定かではない)