ビル・ダークス

Billdurks

ビル・ダークス

「三つ目の男」、あるいは「双顔の男」の名で一斉を風靡したビル(ウィリアム)・ダークスは、1913年、アラバマ州ジャスパーの貧しい家庭に生まれた。先天的に口蓋と鼻が大きく裂けており、更に右目は潰れて視力を失っていた。彼には三人の兄弟がいたが、ビル以外は健常者であったと言われている。ビルが社会と隔絶したのは幼少期の頃だった。ビルは普通に学校に通いだしたが子供達は彼を恐れて近寄らず、すぐに登校拒否児となったのだ。そして家族もまた、ビルの事を隠そうとしたため、ビルはそれ以外学校には通わず、家から余り外出することもないまま、内向的な性格なまま成長した。

そんな彼に転機が訪れたのは彼が十数歳の時である。ある日、地元のお祭りを見に出かけていたところを、サイドショーのスカウトマンが発見した。彼はビルをドサ廻りのサイドショーへと誘い、ビルもまたそれを受け入れた。そうして彼の第二の人生が始まったのである。

ショーに出る事になったビルは顔の中心に更に「第三の眼」を書き足し、「三つ目の男」の名で売り出した。まるで冗談のような話だが、この時代、ビルの第三の眼が偽物である事に気付くものは極僅かであったとされる。それは観客ですら、ビルの顔を直視することを恐れたからだとも言われている。

しかしいずれにせよ、ビルはたちまちサイドショーの人気者となる。当時人気を博したケリー・サットンのショーをはじめ幾つものショーマンと契約し、各地を巡った。しかしこのとき、ビルは決して恵まれていたとは言えない。それはビルが内向的な性格であり、さらに読み書きすらままならなかったのをいいことに、詐欺同様の契約書にサインさせ、ビルを酷い環境で働かせた者もいたからである。

しかしサイドショーで働くようになってから、ビルは数多くの仲間達に恵まれた。ビルの内向的だがユーモアのある性格を多くの仲間達が愛し、中でも「医学的驚異」と呼ばれたメルヴィン・ブーカートはビルを弟のように可愛がった。ブーカートはビルにショーでの振る舞い方や観衆を魅了する方法、更には人との付き合い方や読み書きすら教え、ビルを一人前のショーマンへと育てたのだ。この頃からビルは自分に自身をつけはじめ、一度は拒否された社会との接点を自ら作り出し、ショーに出演する事を自分から楽しむようになっていった。

更にブーカートはある日、ビルに女性を紹介した。当時「ワニ肌女」の異名を取ったミルドレド・Dである。ミルドレドはビルよりも10歳年上であったが、同じサイドショーの演者同士、二人はすぐに恋人へと発展し、結婚。「世界で最も奇妙なカップル」の名をほしいままにして、二人の蜜月を過ごした。

しかし1968年、ミルドレド・Dが67歳でこの世を去ると、ビルは失意のどん底に落ち、一度は引退を決意した。しかし姪の助け、そして愛すべき仲間達の応援に励まされなが再びサイドショーの舞台に立つ。しかし妻が亡くなった七年後、ビルもまたこの世を去った。ビル・ダークスは一度は社会に拒絶されながらも、サイドショーとその仲間達を通じて、自ら新たな人生を勝ち取った輝かしい成功例なのかもしれない。