カール・アンサン

Carl Unthan

カール・アンサンは1848年、プロジア東部に生まれた。彼が生まれた時、居合わせた産婆はカールの首を絞めて殺すべきだと主張したが、父親はそれを止めた。カールがまだ子供のとき、父親はいつも裸足で外を歩くようカールに教えた。それ故か、カールは足で器用にものを掴み、更にはものを書いたりすることさえも覚えた。やがて20歳になった頃、カールはヴァイオリンの名手としてウィーンにてシュトラウスの作品を上演した。

大成功を収めたカールは一躍有名となり、米国やキューバ、メキシコ、南米諸国を巡業することになった。彼がステージで行ったのは、飲み物をグラスに注ぐ、トランプを切ってマジックを行う、煙草を吸って見せる、水槽の中で泳ぐ、ライフルに銃弾を込めて発射する、そしてヴァイオリンを演奏する、といった派手なパフォーマンスの数々であった。またしばしば、カールは演奏中にヴァイオリンの弦をわざと切り、それを足で修復して演奏を再開するといった、巧みな演出を行って観衆を沸かせたという。

第一次世界大戦がはじまると、カールはドイツ軍に従軍し、戦争によって四肢を失った人々を励ますべく、基地各所を回った。戦争が終わると、カールは"The Armless Man(腕のない男)"という映画に主演し(映画では彼の水泳技術をいかんなく発揮し、溺れている女性を助けるといった演技が行われた)、 "Das Pediskript(腕のないヴァイオリニスト)"という自伝を発表した(出版されたのは彼の死後、1935年である)。1928年、80歳でカールは死去したが、莫大な富を残したという。

カールは生涯を通じ、"見せ物"ではなく、"ヴァイオリニスト"として認知されることを望んでいたと言われる。