シャルル・フェルー

Charles Felu

シャルル・フランソワ・フェルーは1830年6月26日、フランスの西フランドル地方の町に生まれた。収税吏であった父親と母親は、シャルルを我慢強く、大事に育てた。例えばシャルルがまだ小さい時のこと。母親は彼が何かにフラストレーションを感じていることに気付くと、彼の靴下を脱がせた。そして、彼の足指の間だにボールを挟み、二人の兄弟とボールで遊ぶことを学ばせたという。それに慣れると次には、両親はシャルル専用の特別な台をこさえて与え、ボールで遊ぶときや、片脚でバランスを取ることを学ばせた。やがてシャルルが足での生活に慣れ初めると、シャルルは絵に興味を持ちだした。

それまでシャルルは、正規の教育を受けたことさえなかったが、彼はとにかく絵に没頭した。そして1859年、その才能が認められてアントワープ・アカデミーへの入学を許可され、ヘンリ・レイスのもとで指導を受けることになった。シャルルが特にその才能を示したのは肖像画であったという。彼はその後生涯を通じ、オランダやフランドルの画家の絵を摸作する複製画家として生活の糧を得た。またその頃には足での生活技術も素晴らしく向上し、まるで手のごとく足を器用ニツカってヒゲを剃り、ビリヤードやトランプ、ドミノを楽しみ、ナイフとフォークを使って優雅に食事をするほどにまで成長した。

シャルルの才能が多方面で認められ始めると、彼は由緒あるカトリック・クラブのメンバーに選ばれ、絵に感激したスペイン女王からはナイトの爵位を与えられた。また時のベルギー王、レオパルド二世にも寵愛され、シャルルがアントワープでワークショップを開くと、そこに必ず立ち寄って歓談したという。

1894年、シャルルは多額を投じて自身の展覧会を主催したが、絵の売れ行きは芳しくなく、彼は財産の多くを失った。そして1900年、彼は長期にわたる闘病生活の末、69歳でこの世を去った。