フリーダ・プシュニク

Frieda Pushnick7

両腕両足を欠損して生まれたフリーダ・プシュニクは1923年2月10日、ペンシルヴァニアのジョンスタウンに生まれた。彼女自身が記した自伝『マイ・ライフ・ストーリー』には次のように記されている。「私には腕も足もありませんが、両親は全く正常な人間です。兄と妹もいますが、彼らも正常です。私は母親に運んでもらって学校に通いました。私は縫い物も編み物も自分で出来ますし、食事や化粧、執筆もタイプライターも打つことが出来ます。普通の人が出来ることなら、私もだいたい自分で出来ます」

フリーダは自分の四肢欠損について、母親が妊娠中に虫垂切除手術を受けたことが原因であると、母親を非難したとい言われる。彼女はP.Tバーナムのもとでサーカスに出演していたが、1949年、バーナム・サーカス火災(この事故は多くのパフォーマーたちの命を奪った)を奇跡的に生き延びた。

その後彼女は『House of the Damned(1963)』や『Side Show (1981)』をはじめ、様々な映画にも出演し、大きな富を得た。晩年はショービジネスから身を引いてカリフォルニアに暮らし、2001年、77歳で死亡するまでは幸せな日々を送ったと言われる。