マーガレット・ギブとメアリー・ギブ姉妹は1912年5月20日、マサチューセッツのホールヨークに産まれた。母親は帝王切開を用いずに彼女たちを出産したが、これは米国における結合性双生児の普通出産、また母子共に生存した珍しい例であるという(最も早い記録としては、ミレー、クリスティーナ・マッコイの母親は1851年に彼女たちを普通出産している)。二人にはその下に妹のドロシーが産まれたが、両親はまだ幼い二人を見て、分離手術を行うことを拒否したという。
彼女たちは学校には行かず、もっぱら家庭教師の教育によって育てられた。そして15歳になったころ、二人は歌と踊りによってヴォードヴィル(ステージショー)の世界で働きはじめた。1930年代、二人は当時最も有名な興行師P.Tバーナムのもと、コールブラザーズサーカスとして全米各地を巡業し、"アメリカのシャム双生児"の宣伝のもと、パリ、ドイツ、そしてスイスにて公演を行っている。
1942年、二人は故郷のホールヨークでメアリー・マーガレット・ギフトショップという店を開店し、二人が作ったカードや記念品、花瓶や子供服の販売を始めた。二人のお店はそれなりに繁盛し、1949年、二人が引退するときまで店は続けられた。引退後はほとんど人目には姿を見せず、教会に向かうときや、旅行に出るときだけその姿が見られたという。そして二人は余生のもっぱらを編み物とテレビ観賞で費やしていたと言われている。
多くの結合双生児のように、メアリーとマーガレットは互いに全く異なる性格を持っていた。メアリーは穏やかで冷静、マーガレットは勝ち気で、神経質だったと言われている。またメアリーはマーガレットに比べ、3cm程背が低く、少しばかり体重が重かった。また二人は共に黒髪と青い目を持っていたが、メアリーの顔の色はマーガレットよりもほのかに黒かったという。
マーガレットはその生涯において、2度の手術を経験している。一度は膀胱結石の除去、そしてもう一度は繊維腫の除去手術である。しかし二人は特にそれらに影響を受けず、手術後は完全に回復していたといわれる。二人を担当していたフランク・ラヒー医師は次のように語っている。「二人は私が人生の中であったうち、最も素敵な人たちでしたね」
しかし1966年、マーガレットは膀胱癌が発覚し、翌年には二人の肺に転移したことが明らかになった。しかし、彼女らは最後まで頑としてその分離手術を拒み続け、1967年8月29日、享年55歳でマーガレットは死亡した。メアリーが死亡したのは、それからわずか二分後のことである。