シンプリシオ・ゴディナとルチオ・ゴディナ(あるいはゴディノ)は1908年3月8日、フィリピンのサマルに生まれた。二人は歴史上でも稀な、男性の殿結合体として誕生した(男性の殿結合対は多くが死産か、生後数日で死亡するケースがほとんどであり、生存したケースはほとんど記録に残されていない)。ゴディナ兄弟は臀部の軟骨と皮膚のみで結合し、骨盤や脊柱は完全に分離していた。二人はまだ幼い頃にアメリカへと渡り、サイドショーで見世物として働きはじめた。
11歳のとき、ニューヨークのコートニーアイランドで働いていた彼らは児童保護機関によって発見され、両親がいないことから、当時の米国フィリピン大使館大使テオドル・ヤコ氏のもとに養子として預けられることになった。以降、二人は高度な教育を受け、勉強に、水泳やテニス、ゴルフといったスポーツにその才能を発揮したという。
彼らが20歳前半の頃、二人は一緒にフィリピン人の一卵性双生児、ナティヴィダドとヴィクトリア姉妹と結婚した。その後彼らは再び興行に、今度は4人で出演したと伝えられている。
しかし1936年、28歳の若さでルチオは肺炎を患った。当初病状は軽いものだと診断されたが、11月24日、ルチオは急死した。そしてルチオの死を受けたシンプリオはその後すぐにウェルセイン医師のもと、緊急分離手術が行われた。分離手術は一旦の成功を見たが、手術から12日後の12月8日、シンプリオも髄膜炎で死亡したという。