グラディ・スタイルス Jr

Grady Stiles2-1

グラディ・スタイルス・ジュニアは先天性指欠損症、あるいは裂足症候群(Lobster Claw Syndrome)の症状をもって生まれた。彼の手は手の平に向かって裂けており、あたかも二本指の"ザリガニのハサミ"のような形をしていた。足は小さく、ヒレのような形で、普通に歩くことは出来なかった。グラディは1937年、ピッツバーグに生まれた。彼の父親はやはり同様の症状を持っており、おそらくは遺伝したものだと言われる。グラディは歩くことが出来なかったため、外では車椅子を用いていた。しかし驚くべき腕力とその手を巧みに使って、地面を這うように移動することが出来た。

グラディはその生涯において二度の結婚を経験している。最初の妻はメアリー・テレサ・ヘルツォーク、二番目の妻はバーバラ・ブロウニングである。二人との間だに合計四人の子供をもうけたが、うち二人(男の子と女の子)はやはりこの裂足症候群の症状を持っていたという。

そしてグラディの長女が大きくなったころ、事件が発生した。彼女はある少年と婚約を結ぼうと、グラディに了承を申し出た。しかしグラディはそれに憤慨し、何とその少年を射殺したのである。グラディはすぐに逮捕されたが、驚くべきことに、彼は刑務所に入ることを免れた。何故ならば、その当時、いかなる刑務所にも彼の障害をサポートする器具が存在しなかったからである。その代わり、グラディは一五年間の保護観察を受けることになった。この件を巡っては、実際には、グラディは屈強な身体を持っていたにも関わらず、彼はそのハンディキャップを利用して懲役を免れたといった批判もあった。

しかしまたグラディには別の問題もあった。第二の妻であるメアリーと結婚した頃から、彼は家庭内暴力をふるうようになったのである。そして1992年、メアリーはそれに耐えかね、グラディの甥っ子(彼は周囲に"まぬけ"と呼ばれていた)に相談し、更に隣に住む少年らと共謀してグラディを殺害したのである。メアリーらはその後逮捕され、1997年まで裁判が行われた。

「グラディー・スタイルスと彼の娘はたった二人でサイドショーを開いていた。彼等のショーはとても評判だった。グラディは自分と同じ症状を持った娘をとても大切にしていた。もし彼女が裂足をもっていなかったら、彼はきっと傷心していたかもしれない。サイドショーでは、彼は自分が先に登場し、最後に別料金を徴収して娘を舞台にあげた。彼等家族は私が見た中でも代わったフリークスだったが、周りは彼等のことを好いていたようだった」

-- 興行師ジョセフ・ヒルトン