イダ・キャンプベルは1874年、米国はイリノイ州で生まれた。以下は彼女の自伝『イダ・キャンプベルの人生と旅(The Life and Travels of Miss Ida Campbell』からの抜粋である。
親愛なる読者様へ
私は1874年、イリノイ州はシカゴで生まれました。私の父はニューヨークのポロック・ホック・コーポレーションでライオン使いとして三年間働いていました。私の母は父に付き従って巡業し、私の兄弟とともに巡業をしていました。
1873年、それは私が生まれる5ヶ月程前のことです。私の父は母が見守るなか、ライオンたちに囲まれて公演を行っていました。そしてその時、最も大きなライオンが私の父を襲いました。父とライオンは生死をかけて戦いましたが、最後にはライオンが父を圧倒し、母の見ている前で、父はライオンに噛まれて死亡しました。母はその時、意識を失い、自宅に運ばれましたが、絶望に包まれたそうです。しかしそれが私たち家族を襲った最後の悲劇ではありませんでした。
父が死亡して二ヶ月後、今度は私の兄弟、長男が象に踏まれて死亡しました。母は父の所有していた獣たちを全てニューヨークに残し、一人残された私の兄を連れて、シカゴに向かいました。そして私が生まれたのです。しかし母は私が腕も足もない姿で生まれたと分かると、私のことを二度と見ようとはしなかったそうです。私が生まれて二ヶ月後、母は死亡しました。死因は傷心であったと言われています。そうして私とまだ幼い兄は、この世に置き去りにされてしまったのです。
両親の死後、私たちの面倒を見てくれたのはミセス・ポロックさんでした。しかし私の兄も身体が弱く、彼は4歳の時に死亡したそうです。そうして私は2歳になる頃には、この世に一人ぼっちになりました。私はトレという名の男性とその妻に連れられて、フランス、ドイツ、イタリア、スペイン、オランダ、ロシアと巡業に連れられ、見せ物として働きました。そして最後に英国にたどり着いたころ、今度はボストック&ウォムウェルサーカスに渡され、英国、アイルランド、スコットランド、ウェールズを巡業しました。そこで私は"偉大なる東洋人"らとともに働いたものです。
その後私はダブリンや他の大きな町々を訪れ、見せ物、あるいは歌い手として働きました。私には腕も足もありませんでしたが、編み物や織物、その他の家事は全て自分で出来ます。私は自分で織物機を操作し、自分で服をきて、自分の髪を整え、歩くことも、手すりも杖も使わずに階段を上り下りすることさえ出来ます。
親愛なる読者様へ、これが私の人生です。
プリンセス・イダ