バーニース・エヴリン・"ジェアニー"・スミスは1916年8月23日、インディアナ州ブルフトンで生まれた。彼女は先天的に両足を欠損し、腕が婉曲していた。三歳の時からサーカスで働き始め、両親とともに米国中を興業して回った。彼女は婉曲した腕をものともせず、逆立ち、側転を器用にこなし、両腕を足のようにして素早く歩くことが出来た。
ジェアニーが13歳のとき、パリ(テキサス州)の巡業中に母親が死亡すると、彼女は二人の兄弟とともに孤児院に入れられた。そして15歳のとき、リジー・ウィークスなる女性によって引き取られたが、リジーはジェアニーを再び見せ物として働かせ、さらには誰も彼女を"チケットなしで"見られないようにするため、ジェアニーを小部屋に閉じこめていた。
1930年代、ジェアニーはサーカス巡業を続ける日々が続いたが、ある日、彼女は同じくサーカスに出演していた"ニュージャージーの巨人(身長2m40cm)"オーレリオ・"アル"・トマイニという男性に出会った。まだサーカスに出演して日が浅く、仕事に馴染めずにいたトマイニとジェアニーはやがて恋におち、1936年9月8日、二人は結婚した。二人はハネムーンでナイアガラの滝を訪れたという。
その後二人は当時サーカスが最も盛んに行われていたフロリダのギボンストンに移住し、そこで理解ある人々に恵まれながら興業を続け、1940年代にはリタイアして穏やかな生活を手にした。サーカスを引退した二人は男の子ひとりと女の子二人を養子に迎え、"ジャイアンツ・キャンプ"(これはトマイニの盟友フランク・レティーニによって命名された)というキャンプ場をオープンした。
二人はそこで幸せな日々を送ったが、やがてトマイニは ー 多くの巨人症者と同じように ー 足を害し、健康状態が悪化しはじめた。そして1962年8月30日、トマイニは享年50歳でこの世を去った。彼の愛用していた巨大なブーツは今でも国道41号線の道路脇に飾られている。
その後ジェアニーは一人でジャンアンツ・キャンプの経営を続け、1999年8月10日、この世を去った。彼女の娘たちはジェアニーの死後、13日間待って彼女の84歳の誕生日を祝い、トマイニの命日である30日に彼女の遺体を埋葬したという。トマイニとジェアニーの子供たちはいまでもギボンストンに暮らしている。
ジェアニーのひ孫、アレクサンダー・モロウ氏は、現在"拷問王ジュニア"の名でサイドショーに出演している。