ジョニー・エック

Johnny Eck9

「僕がフリークスを見たい時は、いつだってただ窓の外を見るのさ。」こんな言葉をさらりと言ってのけたジョニー・エックは、歴史上において最も"華々しいフリークス"の一人である。ジョニー(本名ジョン・エッカート)は1911年8月27日、バルチモアに生まれた。彼は二卵性双生児の兄、ロバートがいた。彼が残した未完の自伝によれば、ジョニーは生まれたとき、まるで"下半身でぶつ切られたような"姿で生まれ、恐怖におののいた産婆は思わず「まるで壊れた人形だわ!」と泣き叫んだ。幾つかの彼について記した書物によれば、実際にはジョニーは未発達の下半身の痕跡を持っていたと言われている。

1932年、ジョニーは映画『フリークス』(トッド・ブラウニングス監督)に出演し、卓抜した演技力を見せた(また彼は鳥型の生物役としてターザン映画にも出演している)。天才的なIQを持っていたと言われるジョニーの才能は役者に留まらず、画家として、また作家としても遺憾なく発揮され、さらに自身がプロデュースするオーケストラの指揮者を務めたこともあった。

ジョニーエックの伝説的な興業は次のようなものである。

・・・あるサーカスのハイライト、観客から一人の男が舞台に上げられた。奇術師は不気味に笑って男に棺桶型の箱に横たわるように指示すると、さて、もったいぶってからノコギリを入れ、やがて箱は真っ二つに切断された。そして観客からどよめきが起こると、奇術師は箱を再び元通りにくっつけた。ここまではよくある"人体切断"の手品である。

そして箱を空けると、中の男は何もなかったように身体を起こし、照れた笑いと共に観客席へと歩きはじめた。観客からは割れんばかりの拍手が起こる。と、そのときである。男は急に苦悶の表情を顔に浮かべ、急によろけたかと思うと、なんと上半身がするりと右側へ滑り落ちた!観客席からは突然の予期せぬ事態に悲鳴をあげるが、彼はそんな声を気にもとめず、上半身は右に、下半身は左側へと何事もなかったように歩き始めたのだ。

もはや観衆はパニックである。中には失神するもの、出口に逃げ出すものさえいたという。読者はもうご存じだろう。この「上半身側の男」こそが、ジョニーエックだったのである。そしてこの話にはもう一つの面白い裏話がある。左側に歩き始めた下半身、それはなんとジョニーの兄、ロバートだったのだ。この奇術は伝説的な興業として後世に語られることになったが、当時、観衆が受けたあまりのショックから、二度と上演されることはなかったと言われる。

1980年代にジョニーは人前に出ることをやめ、1991年1月5日にこの世を去っている。

彼の人生について記したパンフレット「ジョニー・エック:自然の過ちが生んだ半身の少年」の質問と回答コーナーには次のように記されている。

1. 年齢は?
21歳

2.出産は普通だった?
  ああ。

3. 彼の両親は生きている? 
ああ。

4. 彼は病気を患っている?
いや、健康そのものだ。

5. 彼は兄弟がいる?
ああ。双子の兄弟と妹がいる。

6. 彼はよく食べる?
小食かもしれない。

7. 彼は人生を楽しんでいると思う?
ああ。彼は普通の人よりもずいぶん人生を楽しんでいると思う。

8. 彼が好きなスポーツは? 
自動車レースだね。

9. 彼はよく眠る?
皆と変わらないね。

10.彼は人前に出てどのくらい?
1924年からだね。ワシントンとバルチモアから特別な許可を得ている。

11.彼は教育を受けている?
ああ。バルチモア大学で学んで、演劇の勉強もしている。

12.彼の実際の身長と体重は?
身長は71cm、体重は17kg。