1980年、デヴィッド・リンチの傑作「エレファント・マン」が公開された。映画では優しい心を持ちながら、生まれつきの謎の病気に苦しみ、その恐ろしい容貌で人々に忌み嫌われたエレファント・マン ー 本名ジョセフ・メリック ー の悲劇的な苦悩の人生が描かれている。現在ではエレファント・マンの症状は神経繊維腫症の一種であると考えられているが、少なくとも70年代は、彼の症状は"象皮症"によるものであると考えられていた。象皮症とは、寄生虫によって引き起こされる足や睾丸に巨大な腫瘍を生じ、肥大化する病気である。
しかし1979年になると、エレファント・マンの症状が実際には現在でいう"プロテウス症候群" ― 通称"エレファント・マン病" ― として知られる疾病であるという説が有力視されている。プロテウス症候群とは、骨や皮膚、その他器官系の肥大化を引き起こす疾病で、医学誌上においても、これまでおよそ100例程度しか記録が残されていない極めて稀な疾病である(一方、通常の神経繊維腫症は4000人に1人程度で発生すると言われる)。しかし例えプロテウス症候群であったとしても、ジョセフ・メリックほど酷い症状はあまり例がないという(※1)。
ジョセフ・キャリー・メリックは1862年、イングランドのレイセスターに生まれた。二歳の頃に発病し、症状は年を重ねるごとに悪化、いつしか片腕は完全に動かなくなった。しかし伝えられるところによれば、彼はそれらの重い症状にも関わらず非常にイマジネーション豊かで、知的な少年であったと言われる。ジョセフが十一歳の頃、彼の母親メアリー・ジェーン(彼女もまた何らかの障害を持っていたと言われる)は死亡し、父親は別の女性と再婚した。義母はジョセフを毛嫌いし、父親に"ジョセフか私か"と決断を迫った。結果、メリックは家を追い出され、レイセスター・ユニオン・ワークハウスで靴磨きの仕事を始めた。しかし彼が働いているとすぐに人が集まり、子供達が彼を囲んで虐めたため、仕事を変えざるを得なくなった。
それから間もなくして、メリックはサイドショーに出演するようになった。そこで彼に与えられた名が"ザ・エレファント・マン"だった。理由は彼の皮膚がザラザラとして象のようであること、また顔面の腫瘍が象の鼻のように見えたことである。メリックの面倒を見たのは、興行師のトム・ノーマンという人物だった。彼は映画の中ではこっぴどくメリックを扱う悪人風に描かれているが、実際のところ、サイドショーで大人気であったメリックに対して、ノーマンは非常に紳士的であったといわれる(メリックは当時一月に二百ポンド稼いでいた)。しかしある日ノーマンの知り合いであったオーストリアの興行師が、"物珍しい"メリックを誘拐し、彼をベルギーへと連れ去るという事件が起きた。
メリックはどうにか自力でサーカス小屋を脱出し、ベルギーを彷徨った末に、イギリスへとどうにか帰国した。しかし行く当てもないメリックは、リヴァプールの駅で彷徨っているところ、医師のフレデリック・トレヴェスに発見された。トレヴェス医師は、以前、医学校でメリックが紹介されていた時に、彼の事を目にしていた。トレヴェスに保護されたとき、メリックは栄養失調と気管支炎を患っていた為、トレヴェスはメリックをホワイトチャペル病院へと入院させた。そして結局、そこがメリックが生涯住まう家となったのである。
彼は部屋の中で、詩や散文を書き、模型を作って過ごしたという。特に彼が得意としたのは、セント・フィリップス・カテドラルの模型だった(写真一番下)映画の中では、彼が部屋の窓からカテドラルを見て作ったことになっているが、実際には建築の設計ドローイングを勉強していたようである。そして激動の人生を送ったメリックは1890年に永眠した。死後、彼の遺体は保存され、今でも大英博物館にその骨格が収蔵されている(※2)。
"彼を見たら、女性や心臓の弱い人は飛び上がってしまった。それ故に、彼は普通にお金を稼ぐ仕事をさせてもらうことは出来なかった。彼が優れた知性を持ち、読み書きの能力もあり、物静かで、優しい性格であったにもかかわらずなのだ。"
― ジョセフの友人、カー・ゴム氏
"私の姿がどこかおかしいのは事実だ
しかし私を咎めることは神を咎めることだ
もしも私が自分を創りなおすことが出来たならば
私はあなたを落胆させはしないだろう
もし私が巨大で塔に触れることが出来たとしても
あるいは手のひらで海を掴むことが出来たとしても
私は精神によって測られるべきである
精神こそが、人間のもの差しなのだから"
― ジョセフ・メリック
※1.最近の研究によれば、メリックの症状は第一種神経線維腫症(NF1)、そしてプロテウス症候群の合併症状であったと報告されている。。
※2.一般公開はされていない。最近ではマイケル・ジャクソンがメリックの骨を買い取ったという噂が流れたが、それは単なるデマである。