キャサリーンM・"キティ"・スミスは19世紀後半に生まれた。彼女はもともと五体満足の身体で生まれたが、幼い頃にひどい火傷を負い、両手両脚を失なった。1920年、キティーは自分の自伝を描いたパンフレット(『麗しき腕無し少女の話』)を制作して販売すると、飛ぶように売れた。一部たったの25セントであったが、当時の金額で年間10万ドルを超える大きな利益を上げたため、新聞はそれを彼女の狡賢い"お涙頂戴作戦"と批判さえしたという。
キティはまたエプワース・リーグ(メソジスト教徒青年団)の一員で、メソジスト・コーラスの歌い手としても知られた。夏の稼ぎ時には、コニー・アイランドのサイドショーにも出演することもあった。
「彼女は腕こそないが、手紙を書くこと、絵を描くこと、シルク刺繍をすることもできる。木にノコギリをかけることや、クギを打つこと、芝刈り、針の糸通し、蓄音機の操作だって出来る。掃除だってお手のものさ。掃き掃除、モップがけ、スス落とし、本棚や椅子、机作り、ニスがけ、とにかく何だって出来る。髪をとき、歯を磨き、帽子を脱ぐ、食事をする。つまり驚くべき腕無し少女だってことだ」(『麗しき腕無し少女の話』より)