マーシャ・クリヴォシュリポヴァとダーシャ・クリヴォシュリポヴァは1950年1月4日、ロシアのモスクワに誕生した。二人は坐骨結合体として三本の足を持って生まれ、脊柱は180度の角度で接合していた(三本目の足は16歳か17歳のときに切断した)。二人が生まれた時、母親は医師から死産であったと告げられたが、実際のところ、二人は当時のソ連研究所に連れ去られており、以後20年間に渡ってそこで"研究対象"として不幸な日々を送ることを余儀なくされたのであった。
研究所で行われた実験は過酷なものだった。研究者は、彼ら二人が一体どこまで身体の機能を共有しているかを調査しようとしたのだ。それは例えば片方の身体を氷水につけ、もう片方の体温の変化を計るといった実験や、片方を針で刺し、もう片方が泣くかを調べるといった残酷なものだったという。そして彼ら姉妹が五歳になった頃、二人は歩くことを徐々に覚えたが、二人の胴体はバランスを取るには難しく、やがて松葉杖を与えられた。
二人は後に取材向けに特別に作られた専用の衣服を与えられたが、研究所の中では常に被験者用のガウンを着せられ、また与えられた教育はいい加減なものであったという。1993年から2003年にかけ、ダーシャとマーシャは世界最長寿の結合性双生児として、モスクワのアパートに暮らした。
幾人かの医師らは最新の技術を用いて、彼ら姉妹の分離手術を行うことを申し出たが、二人はそれを拒否し続けた。2003年4月17日、アルコール依存症状を示していたダーシャは、心停止によって死亡したという。伝えられるところによれば、ダーシャが死亡した後もマーシャは分離手術を拒否し、睡眠薬を多量に飲んでそれから17時間後に死亡したとされている。またこれら姉妹の死亡は当時のラジオ"Echo of Moscow"によって伝えられたが、今日まで、二人の死が事実であるかどうかを確かめたものはいない。
ある日マーシャはこう語っていたという。「もし私たちが結合性双生児でなかったとしても、一緒に生きていたと思うんです」