マチアス・バシンガー

Matthew Buchinger

マチアス・バシンガーは1674年、ドイツのアンスパックで九人兄弟の末っ子として生まれた。彼には"腕も足も股もなく、また"肩からは爪の無い指が生えいていた(トンプソン)"。また彼を目撃した人々の別の記録によれば、(ちょうどエリ・ブラウンと同じように)彼の臀部には小さな足が存在したとも言われる。彼の事を記録した幾つかの肖像画には、腕が描かれていることもあったが、実際のところどちらであったか今は分からない。ただ確かなのは、バシンガーは成人したとき身長約90cmだったということである。

18世紀に入る頃、バシンガーは英国へと移住し、そこで名前を英語式にマシューと変えた。そこで見世物小屋に出演し、オーボエやダルシマー、トランペット、バグパイプといった楽器を演奏し、更には肖像画を上手に描いて見せたと言われる。またカード芸やジャグリングも得意とし、コップとボールを使ったマジックも行った。また"ハイランド・ドレスを来てホーンパイプを躍り(フィドラー)"、観衆を沸かせた。

彼はその生涯において、四度結婚し、十一人の子供をもうけた。また伝えられるところによれば、彼の第二の妻はマシューが稼いだ金を全て洋服や衣服に遣いこみ、更に彼を虐待したと言われる(このエピソードは映画「フリークス」を連想させるものだ)。しかしある時、彼女が公衆の面前でマシューを平手打ちすると、怒ったマシューは彼女を殴り倒し、彼女が謝罪するまで彼女をその小さな手で殴り続けたという。こうして改心した彼女はその後離婚するまで、その約束を守ったといわれる。

マシューはその人生において、"ドイツの三人の皇帝、またヨーロッパ中の王や王妃に謁見した。特にキング・ジョージには幾度も謁見した(トンプソン)"。彼は1732年、アイルランドのコークで死去した。