ジョセフィーン・マートル・コービン

Pastedimage52

1848年、テキサス州リンカーン郡で生まれたジョセフィーン・マートル・コービンは両足の間に、四本足の寄生体を持って生まれた。マートルの症状は寄生性二殿体の中でも際だって珍しいものであった。彼女は股間のあたりに横に並びあうようにして二枚の骨盤を持ち、寄生した未発達の足はそれぞれ彼女の外側の足とペアを成していたため、その様はほぼ完全な下半身を二つ持っている状態であったという(すなわち、彼女は"自分の足"の内側にもう1対の足を持っていたわけではなく、内側と外側でそれぞれ対を成していた)。彼女は寄生した足を動かすことが出来たが、歩くのに使うことは出来なかった。

彼女は19歳の時、クリントン・ビックネルと言う名の医師と結婚し、5人の子供を儲けた。しかしうち三人については、彼女自身の下半身から、またうち二人は寄生側の下半身から生まれたという。その後マートルは1927年に死亡したと言われている。

19世紀の医学書には、彼女のことは次のように記されている。

「彼女は至って健康である。彼女の場合、寄生体はちょうど、腰の上あたりから生えるようにして存在しており、脊柱は三番目の脊椎骨から枝分かれするようにして寄生体へと繋がっていた。そしてそこから下は全く完全な下半身が形成されていた。

排尿や排便は別々に行われているが、月経は同時に行われているた。彼女は19歳で結婚し、左側の下半身が妊娠したが、長引く出産への不安と続く嘔吐によって四ヶ月目に流産した。

彼女を診察したワーリー医師は、マートルの左側の下半身が妊娠していることを確認した告げたとき、彼女はこう言ったという。「間違いだと思います。右側ならば、あり得ることですが」

その後の医師の調べによれば、彼女の夫は、性交の際はほぼいつも右側の下半身(即ち寄生側)を用いていたそうである。