かの有名なフリークス、双頭のパスカル・ピノン。彼は頭部に寄生性頭蓋結合的なもう一つの顔を持つ人物として宣伝されたが、頭部のもう一つの頭蓋はただの張りぼてだったというのが真相である。1917年のセルス・フロト・サイドショー出演時の彼のプロモーションパンフレットによれば、ピノンは元々メキシコに住んでいたが、パンチョ・ビジャの蜂起で農地を奪われ、介入したジョン・パーシング(米陸軍将軍)に付き従って、家族と共に米国に逃れてきた難民であったという。
当時のパンフレットには「ピノンのもう一つの頭は元々見ることも聴くことも出来たが、20歳の時に脳卒中にあい、もう一つの顔に原因不明の萎縮が生じ、写真のような姿となった」といったそれらしい説明が添えられている。しかしこれはピノンが人々の前に姿を現すとき、第二の顔が動かないことに不信感を抱く観衆への説明としてでっちあげられたものである。
また実際のところ、これまで確認されている寄生性頭蓋結合においては、寄生側の頭部はほぼ全ての場合において、宿主側の頭部とは逆さまに寄生しており、その事実からも、ピノンのもう一つの頭部が"ハリボテ"であったことを裏付けていると言える(それは例えば有名なベンガルの双頭少年、近年ではドミニカのレベッカ・マルチネス、エジプトのマナル・マジェドを見ても明らかである)。
また一説に、ピノンは実際に頭部に大きな腫瘍を持っており、それを隠す為に、腫瘍に顔のようなメイク・アップを施していたとも言われるが、それも真偽は、定かではない(例えばビル・ダークスにおける"第三の眼"のようなものとして)。
ピノンは結局三年間、テキサスのサイドショーに出演していたが、間もなく身体を壊し、引退したと言われる。
※フリークスを扱う「奇形全書」においては、ピノンがあたかもサイドショー文化におけるフリークスの代表格と言わんばかりに、デカデカと帯にまで掲載されている。また本文中においても、ピノンが特殊な寄生性結合双生児であったと説明されているが、これは明らかにマルタン・モネスティエの誤謬である。モネスティエの全書シリーズは、情報量こそ圧倒的ながら、こうした基礎的な事実関係での間違いが散見され、はっきりいえば全体的にいい加減である。