サミュエル・デイヴィッド・パークス

Sam Parks2

サミュエル・デイヴィッド・"サム"・パークスは1879年10月20日、ブラジルのリオ・デ・ジャネイロで生まれた。彼の症状はおそらく骨形成不全で、その生涯を通じて幾多の骨折を経験したと言われる(彼のショー・パンフレットによれば、生涯での骨折回数は58回に及んだとされる)。パークスはまるで痛みを感じない身体であったため、時には骨折したまま気づかず、5〜7日間過ごすこともあった。

パンフレットによれば、彼はその生涯を通じて500人以上の医師に面会し、結果、肋骨がなく、"背骨、腕、足はいずれもカエルのようである"と診察されていた。しかしこれはもちろん、19世紀の誤謬である。実際には、彼を含む骨形成不全の患者は肋骨を持っている。特に彼の場合は胸部があたかもボールのようになっているために分かりづらく、またそのために折れやすかった。

パークスは歩くことが出来ず、生涯を車いすで過ごした。また"プリンセス・ウィー・ウィー"というステージ・ネームを持つ小人症の女性と結婚したが、子供をもうけることはなかった。1923年、49歳でこの世を去っている。